top of page

1940年11月10日に開かれる「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせ、全国の神社で奉祝時祭を行うにあたり、祭典中に奉奏する神楽舞を新たに作ることが立案され、当時の宮内省楽部の楽長である多忠朝が国風歌舞や全国神社に伝わる神楽舞を下地に作曲作舞した神楽舞である。 

皇紀二千六百年奉祝臨時祭に合わせて奉奏するために日本全国で講習会が開かれ、海外鎮座の神社でも奉奏されるべく、朝鮮・台湾などの外地へも講師が派遣された。奉祝会当日午前10時には全国一斉に奉奏された。以降各神社で舞われるようになり、現在に至っている。

浦安の舞は舞姫(巫女)によって一人舞、二人舞、四人舞で舞われる女舞であり、正式には四人舞である。舞は前半の扇舞と後半の鈴舞(各1コーラス分)とがある。

【天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を】が神楽の歌詞となってる。

なお、「うら」は心を指す古語であり、「うらやす」で心中の平穏を表す語であるとされる。

多鳩神社では、少子化の為4人舞が2人舞となりました。

 

巫女舞

bottom of page